思考の道場

答えのない、問いのまわりをぐるぐると。

【Webエッセイ】東京というまち。

 

ドイツから東京に戻ってきました。ドイツの中でものんびりしているという東ドイツの街ドレスデン(人口たったの50万だけれどドイツで11番目に大きい都市)から帰ってきたので覚悟はしていたけれど、一日一日がびっくりする速さで終わっていく。駅の発車メロディやぴかぴかの電光掲示板やエスカレーターの途切れることを知らないアナウンス(エスカレーターでは立ち止まらず黄色い線の内側に立ってお進みくださいエスカレーターでは……)なんかを見たり聞いたりしている間に、一日が終わっているんだからびっくりだ。こんなに情報に囲まれていたのかと愕然とする。母語だから当たり前なんだけれど、全部聞き取れるし読めるがゆえに、耳や目に意識せずとも飛びこんできてしまう。

 

途切れない人の流れと途切れないアナウンスのがやがやに追い立てられるように、半ばそんな東京や日本から逃げ出すようにしてドイツに行ったけれど、ドイツでびっくりするくらい落ち込んだりして、どこまで行っても自分からは逃げられないんだなあとやっと身をもって知った。でもばかみたいに時間かかっても知れたからこそ、東京に戻ってきてもある種の息苦しさは感じずにすんでいる。すごい速さで人も情報もアナウンスも電車も時間も流れていく中で、一人ぷくぷく泡みたいに浮かんでくる疑問に囲まれて立ち止まっている気がして、空気が薄いなあなんて思っていた。けれど、自分の内側の流れを意識して別の流れを隣にそっと、ひざの上で眠っている猫を起こさないように、そっと置けば、私の隣を駆け足で降りていく人たちを、少しだけ遠くから見ることができた。

どこにいたって、内側の流れをそっと隣に置くこと。東京のいいところいっぱい知っているからこそ、そういった部分を好きでいたいからこそ、あえて距離を置く部分をつくる。そしてそれはきっと、東京だけじゃないはず。

 

 

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ドレスデンドレスデン。 

 

追伸。東京の一日が速いのは日没が早い(ドイツは10時くらい)からという理由に今気づいた。でも今気づいたので追伸で失礼します。夏の夜長もいいですね。

 

 

 

 

【旅行エッセイ】 その開放感はどこからくる?コペンハーゲンとストックホルムという街。

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少し前になってしまうのですが、一日が一番長いときに北欧に行ってきました。

デンマークコペンハーゲンスウェーデンストックホルム、そしてエストニアのタリン。ちなみに私は行くまでバルト三国は東欧だと思ってたのですが、国連だと北欧に分類されているそうです。

 

chikichiki303.hatenablog.com

 

上の記事でも書いたのですが、北欧の人たちは本当に夏時間を楽しんでいる印象を受けました。夏は短いから、その日の光や、肌に触れる風や、宇宙まで飛んでいきそうな高い空を愛おしむかのように、テラスや公園のベンチや芝生の上で過ごしている。

コペンハーゲンストックホルムも都会なのですが、人口密度が低いからか、道や公園のスペースが都心に広くとってあるからか、開放感がありのんびりしています。こんなところで夏を過ごせたら、夏に求めるものなんて何もありません。まあ案の定物価が高くてちょっとごはん食べただけで数千円飛んで行ったので、長期滞在が難しいところですが……。

 

そんなコペンハーゲンストックホルム、一番印象が強かったのは睡眠を妨げる日照時間でものんびりした空気でも財布が薄くなる物価でもなくて、ジェンダーに対する寛容さです。トイレはジェンダーフリーですし(男女一緒)、異性同士以外のカップルや、カップルとその子どもという家族も見ることが多かったです。住んでいるドイツよりも見かけたので、実際に違うのかなあと思い確認してみました。

 

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Country Ranking | Rainbow Europe

 

セクシャルマイノリティに対する各国の施策や権利、理解をランキング形式にしたもの。デンマークは6位でスウェーデンは12位。ドイツは16位になっているので、スウェーデンとはそんなに差があるわけではないですが、スウェーデンのオフィシャルサイト(Gay-friendly Sweden)では、セクシャルマイノリティに関する社会状況や権利がきちんと載っています。ちなみに一位ってマルタ島なのか……!気になる行ってみたい。

 

ストックホルムコペンハーゲンで感じた開放感は、こういうところからも来ているかもしれません。空港とか美術館における男女別でないトイレは初めてだったので最初は戸惑いましたが、全て個室だし、慣れるとそれが当たり前になるんだろうなとありありと実感しました。

 

次はエストニアの首都、タリン。

 

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ストリートアートの魅力。それって落書き?アート?

ヨーロッパで中々見かけないもの。

駅の改札、24時間営業のコンビニ。

日本人がやっている寿司屋、雨の中傘をさす人。

 

そして、落書きのない街。

 

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ドイツに住んでいて、そしてヨーロッパの国を旅行していてどこでも出会うのは、グラフィティ(壁の落書き)。新しい街を旅行して落書きが少ないと、お、この街は治安いいのかなと思います。

そのくらい、どんな街もグラフィティだらけ。壁はもちろん、マンションのガラス、電車の車体、エスカレーターの段差、はては地下鉄のトンネルまで、まるで隙間を埋めるように。

 

でも最近、グラフィティがアートの一種、ストリートアートとして注目されてもいます。

グラフィティは結局のところ、落書きなのか、アートなのか。気になったので調べてみました。

 

タグ付けとしてのグラフィティ

現在一般的にグラフィティだとみなされる壁への落書きは、1960年代後半のニューヨークで始まったとされています。ビクターという郵便配達屋さんが、配達で街をぐるぐる回る中、バスや地下鉄に自分の名前を描いていた。

 これをtagging identification(タグ付けすることで自分を証明すること)と呼びました。

ところでこれって、犬が電柱におしっこしてマーキングしたりとか、膨大な海のようなインターネットで心もとなく漂う記事に、少しでも誰かに見つけてもらえるように「タグ」付けしたりすることに、似ていません?

そう考えると、「なんでこんなところに落書きするんだよ〜」に対して、少しわかるような気がします。

 

グラフィティは怖い?

とはいえ、やっぱり私の中ではグラフィティって怖いイメージ。

実際グラフィティと治安って関係あるのかなーと思って当たってみたらありました、ありました。

カリフォルニア警察、通称LAPD。

タイトルはずばり、「なぜギャングのグラフィティは危険なのか」。

 

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……ギャングは自分たちのテリトリー、組織への忠誠心、ステータスの誇示、そしてライバルギャングへの挑戦を示すために、グラフィティを用いる。グラフィティが描かれた地域はライバルギャングの標的になり、車による襲撃の危険性がある。……

 

とここまで読んで、カリフォルニア警察通称LAPDの真剣さが伝わってきて私は震えあがりました。つまり自分の家とかご近所にグラフィティが描かれたら、自分たちもそのギャングの一員としてみなされ、ライバルギャングのターゲットにされるということですね。怖い……。

 

でも大丈夫。ちゃんと24時間対応の、グラフィティを消すオペレーション組織がここカリフォルニア警察にはあります。グラフィティ専用のホットラインまでもれなくついてきます。

 

ストリートアートへの発展

こうして危険とみなされたり、違法とされたりして排除の対象となる一方で、グラフィティはストリートアートとして発展していきます。

 

1970年代にはすでに、ヒップホップ(=都市部のサブカル)の一要素としてその存在を認められていたグラフィティ。競い合うようにして、グラフィティ特有のデザインやペイント様式が洗練されていきます。

今日では市がだれでも自由に描ける壁を設けたり、ストリートアートをめぐるシティーツアーなんかもあったり。「公共空間におけるアート」として認識され認められるようになりました。

 

そしてそれは何も、アメリカやヨーロッパにおいてだけではありません。

 

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http://tavgallery.com/yamabiko-art/ より。

 

ん、やけにカラフルなだるま?

そうです、なんとこのだるま、グラフィティとコラボした作品だそう。

グラフィティとだるま。新鮮すぎてどきどきしますね。

 

ちなみに私が今まで見たストリートアートの中でも印象的だったのが、チェコの首都プラハにある「ジョンレノンの壁」。

すごくカラフルで、私が行ったときは2-3人の人が丁度スプレーでペイントしていました。誰でもペイントできるそうですよ。観光客もたくさん。

 

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今回調べて感じたのは、グラフィティが落書きかアートなのかって、地続きなんだということ。最初は単に名前を記すだけだったグラフィティは、徐々にそのスタイルが洗練され表現豊かになり、ついには「名前を記す」行為を離れて自由な作風やメッセージを伝える、アートへと発展します。

一方アートの核となる表現したいという欲望の一つは、元をたどれば消えていく自分の痕跡を残したい、というところから来ている。「私が存在した」という、確固たる証を。こうして今度は逆向きに辿ると、単に名前を記していただけのグラフィティに行きつくんじゃないか。

落書きなのか、アートなのかというデジタルな問いは、見る側による恣意的な線引きでしかないのかもしれません

 

風情ある街に落書きがあるとがっかりもしますが、それでも歩き続けていると時折はっとするストリートアートに出会うことがあります。

あなたも街のグラフィティに出会ったときは、ぜひ粘り強く歩いてみてくださいね。

Airbnbのメリットデメリットと、いい宿を見つける方法

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現地の人から借りる家・アパート・部屋・バケーションレンタル・民宿予約サイト - Airbnb (エアビーアンドビー)

 

ドイツに留学してすっかりAirbnbのヘビーユーザーになったので、今回は今まで使ってみた中でのメリットデメリットや、使い方をまとめてみたいと思います。

世の中ハウツーの話であふれているので別に書かなくてもいいかなあと思いつつ、旅行の話はちょいちょい書いてるし、そのついでとして。これを読んでAirbnbが海外旅行に行く際の選択肢の一つになれば嬉しいです。

では、目次から気になるところへどうぞ。

 

目次

 Airbnbって安全なの?

Airbnbって聞いたことあるけれど、使ったことないというあなた。それは、安全かどうか不安だからじゃないでしょうか。

結論からいうと、Airbnbの安全性がホテルやホステルに比べて劣ることはないと思います。私は今までで15回、国もドイツや北欧といったメジャーな国だけじゃなくて、ギリシャスロバキアマケドニアブルガリアポーランドポルトガルといった国でもAirbnbで泊まりましたが、特に問題はありませんでした。私(女性)一人で泊まったこともあります。

なぜなら、Airbnbがお互いの信頼によって成り立っているから。宿を探すときの決め手が泊まった人によるレビューなので、ホストも信頼性が大事だということがよくわかっています。またホスト側も泊まる側も、facebookや身分証明書を登録し、本人確認を行っています。

お金のやり取りは完全事前にAirbnb上で行うので、私は今までトラブルが起きたことはありません。

勿論、安全に使うためにホテルを取るときよりは気を付けています。そのための使い方は後述します。

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メリット 

ホテルより安い。コスパがいい。

一番のメリットは、ホテルより安いこと。私がホテルを探すときによく見るBooking.comと比べると、Airbnbの方が全体的に安い傾向にあります。また値段の割に広々した物件が多い。

一方ホステルとさほど値段が変わらないこともあります。6人一部屋に15ユーロ出すなら、Airbnbの一人部屋に15ユーロ出す方が快適です。

コスパがいいのが、Airbnbなのです。

 

宿を探すのが楽しい

旅行って、準備が終わった段階で旅行の50%くらい終わった気分になったりしません?

そう、それくらい特に海外個人旅行の準備って手間がかかる。私は旅行の準備の中でも宿探しがダントツに面倒なのですが、Airbnbはサイトデザインがシンプルで、かつ写真に力入れている人が多いので、探すのがけっこう楽しいです。Booking.comとかって、今○人が見ています、とか、本日セール!とか出て見てて焦って落ち着かないんですよね…Airbnbは落ち着いて見れます。

というわけで、私みたいに宿探しがキライな人におすすめです。

 

tabippo.net

見ているだけで気分があがるのは、大事ですね。

 

チェックイン、チェックアウトが柔軟

ホテルだとチェックイン15時からチェックアウト11時までと、かなり厳格に決まっていますが、Aibnbはそんなことありません。どの宿にもチェックイン&アウト時間は記載されていますが、実際にはかなり柔軟に対応してくれることが多いです。チェックインは仕事を抜けて迎えに来てくれたり、車で迎えにきてくれたり。チェックアウトは次の日に泊まる人がいない場合、出たい時間に出ていいと言われることが多いです。

 

ホストがその土地のことを教えてくれる

Airbnbに力を入れているホストは、かなり親切に色々おしえてくれます。中心地へのアクセスからおすすめのレストラン、地元っ子がよく行く場所など。地元の人目線でアドバイスもらえるし、いざというときに安心です。

 

キッチンがある

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特に長期の旅行(1週間~)になると、キッチンがあることがとてもありがたいです。毎日外食はお財布にもイタイし、日本食も恋しくなってくる。そんなときキッチンがあるAirbnbはとても便利。

 

閑静で安全な住宅地にある場合が多い

中心地にあるホテルと違って普通のアパートに泊まるため、閑静な住宅地にあることが多いです。主に住民しかいないため周囲も安全ですし、物価も少し安い。現地の人の暮らしを少し覗けるのも楽しいです。

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デメリット

当たりはずれがある

勿論ホテルでもなんでもそうですが、当たりはずれがあります。あると疑っていないものがなかったり(シャワーカーテンやバスマット、キッチンのスポンジなど。一度シャワーがないことがありました。)、実際には清潔でなかったりなど。「あると書かれていない」場合はないこともあるので、事前にレビューで書かれているか、写真に写っているか確認するといいでしょう。

 

連絡を取るのが面倒

チェックインの際に待ち合わせる必要がある場合は、何時に着くかはっきり連絡しないといけません。海外でケータイのプランに入っていない場合は何時に着くかきちんと計画を立てないといけないし、あわてて現地でWIFIを探すはめになることもあります。

 

宿の場所がわかりづらい

ホテルと違って名称で検索できないのと、普通のアパートの入り口なので、何度もその前を通っても気づかないことがあります。事前に道順を聞いていたとしても、宿までたどり着くのに一苦労することがあります。

 

リクエストしても断られることがある

いくつか宿を調べてここだ!と決めても断られることがあります。「カレンダーに反映させておいてよ!」と思うのですが、あまり力を入れていないホストでたまに起こります。

 

写真が良すぎてがっかりすることがある

これ、結構起こります。写真の角度や光加減がよくて、実際に行ってみるとがっかりすること。でもこれは別にAirbnbだけに限りませんね。

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いい宿を探すには?

写真とレビューは2~3割増しだと肝に銘じておく

写真とレビューでAirbnbは成り立っているので、写真はきれいに撮れていて当たり前、レビューも高評価(ほとんどが4以上)が当たり前です。レビューの内容もいいことばかり書かれています。逆に言うと4以上じゃない宿は辞めておいた方が無難です。写真も気合い入っていないものは、ホストが力を入れていない証拠なので、トラブルが増える可能性があります。

また、検索をかけた時の写真が部屋のものじゃなくてその土地の景色だった場合、そんなに部屋が魅力的じゃないのかな、と思い避けています。

 

レビューが多い宿から選ぶ

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前述したように高評価なレビューが当たり前なので、そこでは宿の良しあしを見分けづらいです。なのでレビューが多い人から選ぶといいでしょう。ホストも慣れていますし、改善点を指摘されてよくなっている場合があります。やり取りもスムーズに行く場合が多いです。

私の中ではレビューが

20人以上→ホスト自身を信頼できる

50件以上→ホストが慣れているので特に問題なし

100件以上→ホスト超ベテラン。人気の宿なので早めにとる

といった感じで考えています。

 

宿の種類でふるいにかける

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貸し切りは自分たちだけでアパートを貸し切り、個室はホストが住んでいるアパートの一室に泊まります(他の滞在者等と一緒のシェアルームもあります)。

個室と貸し切りが同じ値段のことがままあるので、まず貸し切りだけで検索して、その後個室を追加すると探しやすいです。

よく宿の見出しであるのが「cozy」という形容詞。日本語だと「こぢんまりした」なので、そんなに広くはないことがわかります。

また「studio」と書いてあるものは個室がないアパートになります。

 

レビュー検索を上手く使う

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レビューを一つ一つ読むのは面倒だし、また似たようなことが書かれている。そんなときはレビュー検索を使いましょう。私は宿周辺の治安が気になるので「safe」や「safety」で検索をかけます。あとは「clean」や「access」ですかね。自分が重視する単語や形容詞を入れるといいです。書かれているということは、泊まった人の印象に残っているということなので。書かれていないものは、そうではないと(cleanの単語が出てこないときは、そんなに清潔でないとか)考えるといいと思います。

 

女性一人で泊まる場合、ホストが女性の宿または女性限定の宿を選ぶ

女性が一人で泊まる場合、安全面を考えて、貸し切りではなく個室、そしてホストが女性のものを選んでいます。一度ホストが男性で、賃貸物件だったので実際住んでいる人は女性という宿に泊まったこともあります。

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泊まる宿が決まったら

誰と行くか、目的を書く

リクエストの段階で、同行者が誰か、旅の目的が何か、そして簡単な自己紹介をすると、相手に信頼感を与えられます。

 

チェックイン時間を伝える

遅くても泊まる前日までにはチェックイン時間を伝えましょう。

 

宿への行き方、入り方を聞く

これはマストです。大体前日までにホストから伝えてくれることがありますが、ない場合はこちらから聞きましょう。ホストに会えない場合は鍵の隠し場所をしっかり聞いておきましょう。

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泊まったらレビューを書いて、自分もレビューをもらおう

ここまで読んでくださった方はもうお分かりかと思いますが、Airbnbはレビューが命です。少々面倒ではありますが、泊まった後は必ずレビューをしましょう。相手も自分に対するレビューを書いてくれます。ホスト側もどんな人が泊まるのか、心配なのは同じ。レビューを書いてもらうことで、信頼性を得、次泊まりやすくしましょう。

 

終わりに

思ったより長々と書いてしまいました。知らないからって使わないのはもったいないのがAirbnb。ホテルより慎重に選ぶ必要がありますが、慣れてくると探すのも楽しくなります。次海外に行くときは、ぜひ選択肢の一つに入れてみてくださいね。

 

 

 

「そうであったかもしれない自分」と、物語。

あなたが小さいころ、好きだったことって何ですか?

たまに子どもの頃の友人に会って昔話をするときって、何であんなに楽しいんでしょう。今よりもずっと、何も考えずに遊んでいた。もちろんその時々でつらいことはあったんでしょうけれど、人間都合いいことしか覚えていないようにできているみたいで。

私は小説読んだり、リカちゃん人形で遊んだり、ハム太郎ごっこしたり(とっとこハム太郎懐かしい。)思えば物語のなかで遊ぶことが多かった気がします。一日中リカちゃん人形で遊んで腰痛くなっていました。

そんなこんななので、もちろん読書=小説という図式が頭のなかにあったのですが、読書=小説を読むことではない、と改めて認識し、この世には小説を一切読まない人がいるんだということにはっきり気付いたのが、大学入ってからです。我ながら気付くの遅くて飽きれますが、思い込みって恐ろしい。

そんなことを認識してからというのも、小説を読んで何の役に立つの?という疑問が存在することに勝手に胸を痛めています。小説を読むことは一般的には趣味の一つなので、流れゆく言葉がもたらす愉悦とか、物語に入り込んでしまうことの快感とか、私ももちろんそういうところに惹かれますが、趣味を超えた小説の存在意義、みたいなものをぐるぐる考えてしまうのも確か。

 

 

今日はそんな話をしたいと思います。

 

★★★

物語というのはいつも誰か、具体的な人についての物語ですね。たとえ名前がKであったり少年Aであったりしてもそこには生々しく、血の通った人が出てくる。そこで語られるのは私の物語ではなく、誰かの物語。

にもかかわらず私たちが物語に入り込んでしまうとき、その物語にどっぷりつかってからふと現実に戻ってきたとき、「私はもしかしたらこの物語の主人公でありえたかもしれない」と思うことがあります。どんなに共感を抱きづらい登場人物であったとしても、何かしら一つや二つ、共通点を見出してしまうことってありませんか?

私はかつて東野圭吾の「手紙」や角田光代の「八日目の蝉」、山本文緒の「恋愛中毒」を読んだことがあるのですが、読み終わったあとはいつも背筋がぞぞぞとしてしまいます。それは私がこの小説の主人公足りえる、主人公でありえたかもしれない、と思うからです。

普段生活している中では実感しづらい、「そうであったかもしれない自分」に出会うのが、物語を読むとき。

 

話は少し飛んでしまいますが、「○○のために~」という慈善事業は続かない、と言われることがあります。またそう思っていたとしても、本当のところは「そうすることによって感謝されたい」という思いがあったりして、上手くいかないこともあります。自分のことに、自分が生きることに必死だから全てのことが自分に関係する、当事者としていられるなんてそんなことはできません。私ももちろんそうです。

かといって「私には関係ないから」と済ませてばっかりだと、残るのは切り詰められた社会と、切り詰められた私です。子どもじゃないから、お年寄りではないから、そこの国の人ではないから、男性じゃないから、女性じゃないから、私には関係ない、と切り捨てるのは、例えば「子どもであった自分」や「やがて老いる自分」を切り捨てるのと同じではないでしょうか。社会がなるだけ多様な人を内包するものであってほしいと私が思うのは、私自身が「その人であったかもしれない」と思うからであり、「その人でありえる自分」を自分の中に残しておきたいからでもあるのです。その人のためや社会のためだけじゃなく、多様でありうる自分、という可能性をも残しておきたいからです。

 

そう、私はもしかしたらその人であったかもしれない、というある種の想像力は、社会という共同体だけじゃなくて、自分自身の「あらゆる可能性」を内包するものでもあります。その内包性が、結果的に社会を「生きやすい」ものにするといいなと願いながら。

そして物語を紡ぐ小説の一つの可能性は、その想像力を涵養するところにあるんじゃないでしょうか。

 

★★★

 

手紙 (文春文庫)

手紙 (文春文庫)

 

 

 

八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉 (中公文庫)

 

 

 

恋愛中毒 (角川文庫)

恋愛中毒 (角川文庫)

 

 

 

 

 

 

それは痛みを伴うけれど。/ 自分と他人を分けて考えてみよう。

って書きましたが、別にそっち系の話ではありません…ってこのブログを読んでくれている方なら察しがつきます…はず。

 

ところで性にまつわる話を下品になりすぎず、学術的になりすぎずにさらっと書くには器量がいる気がします。

文学史と言われるリストに名を連ねている作家も、どうやってそのシーンをやり過ごすのか、いろいろ考えあぐねていたんでしょうか。

ちなみに最近読んだフィッツジェラルドの「夜はやさし」では「……」でもってやり過ごされていました。そういえば19世紀のドイツリアリズム作家、フォンターネによる「エフィ・ブリ―スト」でも同じく「……」で流れてゆきます。まあ時代のせいもあるんでしょうが、この小説をドイツ語の授業でやって、ここの「……」の意味するところは何かという質問が教授から出たときは、ぱっとは答えられないくらいさりげなく差し挟まれた「……」でした。

 

「……」。はしょるなよって思うのか、さりとてスムーズだなと思うのか、あなたはどっちですか?

夜はやさし(上) (角川文庫)

夜はやさし(上) (角川文庫)

 

 

罪なき罪―エフィ・ブリースト (上) (岩波文庫)

罪なき罪―エフィ・ブリースト (上) (岩波文庫)

 

 

★★★

前置きが長くなってしまいましたが、さてなんでこんなタイトルにしたのかというと、「割り切れないけれど割り切りたい」ものについて書きたいなあと思ったからです。

そう、「自分」と「自分以外の人」について。

 

「喜びは2倍に、悲しみは半分に」とよく言いますが、自分のことのように喜んだり悲しんだりできる人がいることは幸せな一方で、苦しみもまたもたらします。

 物語を読む際の愉悦もどこからやってくるのかというと、「主人公との同一視による、感情移入」です。どれだけ登場人物がつくりこまれているかにもよるし、自分の共感能力にもよりますが。「魔女の宅急便」のキキを見て、まるで自分が空を飛べたかのようにわくわくし、まるで自分がスランプに陥ったかのように、飛べなくなったキキとともに落ち込む。物語に入り込んでしまう。

 

じゃあ逆に、自分以外の誰かにシンパシーを感じてしまうことの苦しみってなんでしょうか。

私はけっこう共感能力が高いほうなので、身近な人が元気なうちはいいんですが、落ち込んでしまうとずるずるとこっちも引きずられてしまいます。それで、その人のことをなんとかしなきゃなんて思ってしまう。でも落ち込んでいるのは当たり前ですが自分ではないし、最終的に元気になるのも、その人自身しかできない。逆に自分が落ち込んでいて、そのつらさを周りの人に理解してもらいたいなんていう思いがむくむく出てきたりすることがあるのですが、共感や理解を求めてしまうと、それはどこかのタイミングで必ず裏切られる。純度100パーセントの理解は不可能だからです。当たり前のことなんですが、この人は「わかってくれる」という前提でいると、その人に怒りや孤独感といった負のエネルギーが追加でわいてきてしまう。

 

理解されないし理解できないけれど - 思考の道場

 

だから、ふと自分と「自分以外の人」を混同したり近づけたりしすぎたときは、目をつぶって、そっと、私とあなたを分けてみる。

そう、湿ってくっついたのりを、ぺりぺりはがすように。

それは痛みを伴うかもしれませんが、元々別個のものだったのだから。

ちなみにここドイツでは、のりが湿らないくらいからっとしているのでちょっと懐かしいです、じめじめしたのり。

 

でもユング集合的無意識じゃないけれど、深いところには同じ地下水脈が通っていると思っています。のりが四角く切られる前に、どろどろした同じ流体であったように。そのユング心理学者の河合隼雄氏も、地球は丸いから人間も深いところまで掘っていけばそこでは交わっていると言っていましたしね。だから孤独なときは、逆に地下を掘っていきます。少しずつ、そっと、ゆっくりと。

 

こころの処方箋

こころの処方箋

 

 

 

 

 

 

 

【Webエッセイ】 視野なんて広がらないのだから。

すいか、花火、下駄響き。

風鈴の音色に、日暮れのそよ風。

夏はどうも、ノスタルジックな匂いがする。

 

夏の空は高い。この辺には高い建物なんてないから、ふと顔を上げて腰を上げて目線を上げると、そこには私の視界を超えた空が広がっている。

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下ばっかり向いて手と頭を動かしていると、ふとその空の広さに面食らう。

知らない間に、視野が狭くなっていることに気づく。

 

青空につられて、散歩に出る。空が青いだけでなんとかなるかな、なんて思えるから。

 

留学もあと少し。海外に出ると真っ先に「視野が広がる」と言われるけれど、私はぴんときたことがない。視野が広がるなんて嘘。自分の視野がどれだけ狭いか気づいて、気づいて、気づいて、うんざりするほどその視野の狭さを実感することの、繰り返しでしかない。

広がるのは視野じゃなくて、頭の中の白地図という名をした、空白。

 

だから人は空を見上げるんだろう。どこにいたって、どんなに高いビルや天井に囲まれていたって、見上げれば空の欠片くらい見つけられるから。

自分がどれくらいちっぽけで、「瞬き一つの間の一生」を生きているかをすぐ

忘れてしまうくらい、愚かな生きものなのだから。