思考の道場

答えのない、問いのまわりをぐるぐると。

能力と冷蔵庫

能力は際限なく伸ばせるものだと思っていないだろうか。

 

私自身は結構そう思うことが多かった。

欲張りなのかその辺りは完璧主義なのか、慎重に考えるのと同時に行動力をつけたがったり、幅広く教養を見に着けると同時に専門性がほしかったり、一人で行動できる人になりたいのと同時に人脈が多い人になりたいと思ったりした。

 

そしてはた、と、自分が望んでいる能力(才能)は、互いに裏表の関係であったり、一つを望めばもう一つは手に入りにくい(できなくはないけれど、矛盾している能力である)関係であることに気付く。

 

自分の能力に対し、自分で限界を設けるな、とよく言われる。それは正しい反面、上記の私のように矛盾することも多々ある。

 

故に私は、能力に対する考え方を変えることにした。

 

話は変わるが、私は家で料理をすることが多い。

家で料理をするとき心掛けていることは、いかに冷蔵庫に入っているものだけ

で(その日の献立のために新たに買い物することなく)美味しく調理するかということである。

レシピを見ながら料理すると、必ず一つや二つは今手元にないものが含まれていることがある。そういう時は他のもので代用したり、あえてそれを入れなかったりする。

 

限られた冷蔵庫の中の食材の中で、いかに美味しいものをつくるか、というところが、普段の料理の醍醐味である。レシピ通りにつくったり、より品質のよい食材を買った方がおいしいかもしれないが、毎日のことだと、お金がどうしても限られてきてしまう。

 

話を戻すが、能力とは、「冷蔵庫に入った食材」のようなものではないだろうか。

一つ一つの食材は眠っていて、単品で食べると決しておいしくはない(生のにんじんや大根を食べることに私はそんなに食指は動かない)。でもこちらの引き出し方次第で、今夜の一品になる。重要なのは、いかに食材を活かすか、である。

 

誰でも、これは得意・どちらかと言えば得意というものを持っている。同時に、これは苦手・どちらかと言えば苦手とするものも持っている。自分の能力に悩むものは、苦手とする部類の能力の開発に目を向けがちだ。(足りない食材・よりよい食材を冷蔵庫に補充すること)しかし、その分、自分が得意とするものの開発(=冷蔵庫に入っている食材を活かすこと)に盲目になる。

 

能力や才能はgiftと言われるように、授かりものでもある。能力は自分のために与えられたのではない。自分の周りの人、ひいては社会に向けて与えられたものである。自分に与えられた能力をいかに引き出し、周りの役に立てるかを考える。すると自分の長所に目がいくし、自信にもつながっていくと思う。

 

長所と短所は裏表の関係にある、と身に染みて感じている今日この頃である。