映画の映像美
映画はあまり見ないけれど、図書館で借りられるので最近見るようになった。
私は小説に勝る媒体はないと思っていたのだが、井口 奈己の「犬猫」を見て衝撃を受けて以来、当たり前だけれど、映画には映画でしか表現できないものがあるんだなと実感した。
「犬猫」のエンディングのシーン。
主人公が窓を開けて、寝ている。手元には開かれたままの本。
風がさあっと入ってきて、本のページをぱらぱらとめくる。
本当にこれだけのシーンなんだけれど、衝撃を受けてしまった。これは、文字では表現できないなと思ったからだ。
ささやかな日常。透明な空気感。文字では表現できない空気が、切り取られている。
それ以来、映画を見るときはストーリーよりは映像に注目して見るようになった。
最近よく見るのは、フランスの監督エリック・ロメールの作品。
「友達の恋人」。主人公の男女が街で出会い、少し挨拶して、別れるシーン。
お互いを意識はしているけれど、友達の恋人、恋人の友達という微妙な関係が、このシーンに凝縮されている気がする。
これも、文字で表すと味気ない。
ためらいつつ挨拶し、余韻を残して分かれる。このぎこちなさが、何とも愛おしくなった。
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古いけれど、小津安二郎の「一人息子」。舞台は1923年の信州。中学校へは行かないと母親に言った矢先、先生が訪ねてきて、お母さんよくぞ息子さんを学校へやる決心をしてくれました、と言う。
戸惑う母親。先生が帰ったあと、すぐに息子を呼ぶ。
息子は階段の影に隠れている。
やがて、とん、とん、とん、と階段を下りてきて、ゆっくり振り返る。罰が悪そうな、でも悪いことはしていないという信念、母親に対する申し訳なさ、が混ざった、なんとも言えない表情をして、母親の前に立つ。
そのときの少年の佇まい、一連の動作に、少年の思いを感じる。
カメラはローアングルで固定してあるだけに、少年が不思議と大きく見える。
セリフもなく、地味なシーンなのだけれど、張り詰めた空気感が漂う。
この映画は映像美だけでなく、この時代における「立身出世」という価値観がよく描かれている。
良くも悪くも、このエートスが現在まで脈々と続いているんだな、と肌感覚で理解した。
その分、簡単にこういった価値観は変わらないことも。
戦前の日常を知る上でも良い作品。