思考の道場

答えのない、問いのまわりをぐるぐると。

心(ものごとの捉え方)を鍛える

心を鍛えるというと、なんだかスポ魂みたいに聞こえるけれど。

 

私は、「生きやすさ」というのはある程度訓練することができる、と考えている。

そう、体力が鍛えられるように。

 

生まれつき体力のある人と少ない人がいるけれど、少なくとも鍛えることはできる。

それと同じで、心の持ちよう、とか、ものごとの捉え方、とか、精神力、みたいなものは、鍛えることができる。

 

元々の性格として、ポジティブな人、あっけらかんとした人、楽観的な人がいる。

先がわからなくても、まあなんとかなるでしょう、と楽しめちゃう人。

私は心配性で、変に本質みたいなものにこだわって考えすぎてしまうきらいがあり、もともとはすごく過去志向だったので、そういう人を見るといいなあ、生きやすいだろうなと思っていた。

 

でもいつからか、そういう前向きに見える人でも、元はそうでなかったかもしれないし、いわゆる「ポジティブ思考」は身に着けるものかもしれない、と思ってから、少しずつ自分の捉え方のクセを点検することにしている。

 

自分で自分を、生きやすくする。と言うと大げさに聞こえるかもしれないけれど、私は「生きているっていいな」と少しでも思って死にたいので、少しずつ訓練している。

それはとても些細なことで、例えば、

 

・好きだな、と思えることに触れること、増やすこと

・どんな物事でも、一度はいいように解釈してみること

・現在に集中すること、そのために瞑想すること

・身の回りの些細なことや、些細な美しさに意識して目を向けること

・自分のネガティブな感情を受け止めた上で、観察すること

・怖くても、不安でも、いつかは死んでしまうのだからと言い聞かせること

・落ちこんだときに読む文章を確保しておくこと

 

等を実践している。

ささやかだけれど、上記を続けているうちに、昔より生きやすくなったなと思う。

誰しもものごとの捉え方や、考え方のクセがあって、どつぼにはまると中々そこから抜け出せない。

そこにはまってしまっても、ある程度客観的に自分を見つめること。それは、つまりそんな自分を丸ごと認めるということにつながるんだけれど。

私の中の「心を鍛える」イメージは、上記のようなもので、最終的には、等身大の自分を受け入れる、ということになるかもしれない。

 

「ありのままの自分を受け入れる」ってよく言われるけれど、思ったより難しいので、私は体力を鍛えるように、毎日少しずつ、心を鍛えている。