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思考の道場

答えのない、問いのまわりをぐるぐると。

マンガ「orange」を本気で考察してみる。「後悔」という負の遺産。「母親像」の変化。(※ネタバレ感想有)

作品レビュー

私は少女マンガが結構好きで、小説もちょっとコムズカシイ本も読むのつかれたでもネットサーフィンもなあ…というときにがーっと読んでいる。

 

それで読み終わった後に、「マンガのタイトル 考察」というキーワードでネット検索かけるのが私のささやかな楽しみなのだが、意外に小説の考察記事はあっても、マンガって少ない。

感想かあらすじ紹介のブログは多いのだけれど。

 

というわけで、あんまりないなら自分で書いてみよう!と思ったのがこの記事。

 

さて、今回取り上げるのは「orange」。

 

orange : 1 (アクションコミックス)

orange : 1 (アクションコミックス)

 

 

ちなみに「orange」は前に書いた記事でも少し取り上げている。

 

chikichiki303.hatenablog.com

 

「orange」は個人的なお気に入り作品ではないのだけれど、普段少女マンガを読まない人とか、少女マンガはちょっと……という男性とかにおすすめしたいマンガ。

 

というのも、母親の自殺・友達の自殺という重いテーマ、及びパラレルワールドという少女マンガでは異色のSFモチーフを扱いながらも、違和感を抱かせることなく、しかも5巻というコンパクトサイズにまとめているからだ。

 

重くもならず、これどこの国の話…?ともならず、フツウの読者がふつうに自分事として読めるあたりは、作者の力量だと思う。

背景として描かれているのが、あくまでも高校生仲良し6人組の、体育祭とか文化祭とか球技大会とかの日常スクールライフだからだろうか。

 

「後悔」を二段階に分けてみる

 

さて、この話は「自ら死を選んでしまう未来をもつ好きな人を、救えるか」どうかが鍵となっている。

 

主人公の菜穂は、どこにでもいそうな女の子。彼女の長所は人の気持ちを考え思いやれる優しいところ、そして短所は臆病で行動しないところ。

 

そしてその人を思う菜穂の優しさは、最大の後悔として現れる。

(26歳の菜穂を菜穂①、菜穂①から手紙を貰う16歳の菜穂を菜穂②とすると、)

菜穂①は、「私があのとき行動すれば、翔は救えたんじゃないか…」という後悔に苛まれる。

 

この「行動しなかった後悔」は後悔の中でも一番大きいもので、菜穂の場合、それが取返しのつかない「好きな人の死」という形で現れる。

こうして翔を救うため、そして後悔を乗り越えるため、菜穂①は16歳の私菜穂②に手紙を書くのだ。

 

さて、未来の私から手紙を受け取る菜穂②。

手紙を読んで翔が死んでしまうと知った菜穂は、それを阻止するため、手紙の指示通りに行動するようになる。

 

それは全て、「翔にお弁当をつくる」「花火に誘う」「バレンタインに告白する」等、菜穂①がしようと思って、できなかったことである。

 

菜穂①がそれをできなかったのは、「そうしても翔にとっては迷惑かもしれない」という思いやり・優しさとも言えるのだが、最大の理由は「自分が傷つきたくないから」である。

 

つまり菜穂①は、翔を好きで翔を思っているのだが、翔に拒まれて傷つきたくない、という気持ちの方が勝ってしまっていた。つまり菜穂①の優しさは他者にベクトルが向いているように見えて、自分の方にベクトルが向いてしまっている。菜穂①の最大の後悔は、自分の気持ちを優先させて翔を救えなかったことへの、後悔である。

 

さて、菜穂①の後悔は、過去の自分に手紙を書き、菜穂②の世界における翔を救うことで乗り越えられたことになる。

 

しかしながら、後悔を抱えているのは菜穂①だけではない。翔①(死んでしまう翔)もまた、後悔を抱えて死を選んでいるのだ。

 

自分が病院へ行く母親に付き添わなかったから、母親は自殺してしまった。付き添えばよかった、母親が死んだのは自分のせいだ、という後悔。

 

しかしパラレルワールド(菜穂②の世界)においても、この母親の自殺は避けられないこととして描かれている。作者はあくまでも、「変えられない過去」に対して後悔し続けることをテーマとして扱っている。

 

翔は自分を責め続け、自分が行動すると間違うのではないか、菜穂を傷つけて再び後悔はしたくない、間違えたくない、と思い、行動できなくなる。

選択し続けることが生きることなのに、翔は「失敗」を恐れるあまり選択も行動もできず八方塞がりになって、最終的に死を選ぶ。

 

この「消せない過去」を超えるきっかけとなるのが、菜穂②たち周りの行動だ。

菜穂②は自分の気持ちを伝え、翔②に生きていてほしいと言う。その気持ちに気付いた翔は、自分を責めて後悔するよりも、菜穂を含めた大事な人のために生きたい、と思うようになる。「生きていてほしい」「大事な人のために生きたい」という想いは、後悔という負の遺産を乗り越える。

 

とすごーく長ったらしく書いてしまったが、無理やりまとめてみると、

 

後悔の中でも最大級のものは、「行動しなかった後悔」で、それは自分がかわいい故に、自分が傷つきたくないというエゴ故に起こる。しかしこの自分にベクトルが向いた故での「後悔」もまた、自分にベクトルが向いているのである。生きている限り、後悔のない人生なんて、おそらくない。それにもかかわらず、後悔することで自分を責め、苦しんでいる。そしてそれを見た周りが、また苦しんでいる。後悔もまた、エゴである、と気づいたとき、「後悔」という負の遺産は乗り越えられるのではないか。

 

後悔は取返しのつかない過去を扱っているため、生きている限り付き合っていくものだ。けれど後悔し続ける人生もまた、後悔そのもの、である。間違えない人生はないけれど、正しい人生もない。後悔して自分を責めて許せずに生きるよりも、失敗したって後悔したってそんな自分を許し、自分を大切に思ってくれていて、自分も大切に思っている人のために、今笑顔で生きることの方が、よっぽど大事だ。

 

というわけで、さらっと読み終えてしまったけれど、今こうやって改めてぐるぐる考えてみると、チキンな私には胸が痛いマンガだったということに気付いた。

 

というわけでこのマンガはある意味、「チキンで行動できない人への処方箋」なのかもしれない。

 

 

「死」というドラマ性・「最大の敵は自分」という少女マンガ

 

さて、こっちはちょっと身も蓋もない話。

少女マンガは王道少年マンガと違って、あんまり悪役は出てこない。

話の中心はあくまでも恋愛を中心とした日常で、世界戦争とか明日地球が滅びるとか世界チャンピョンになるとか、そういう劇的なドラマも少ない。

 

そんな少女マンガにおいて、「死」を扱うことはかなり展開にドラマ性をもたらすことになる。

私は中でも「親」特に「母親」の死は、かなりドラマ性があるんじゃないかと思う。

 

母親に死なれ、「母親が死んだのは自分のせいだ」と自分を責めてしまう主人公は、

自分を責め許せないが故に、周りの人を知らず知らず拒んでしまう。

または、「自分をおいて死んだ母親が許せないけれど、そんな母親を許せない自分が許せない」、「自分も母親のように弱くて死を選んでしまうかもしれない」と思う主人公は、その怖さ故に、こちらも周りの人を知らず知らず拒んでしまう。

 

上記は恋愛がうまくいかない、という形で、ストーリーに現れる。

 

このような主人公の場合、勿論周りの働きかけもあるんだけれど、最終的には「母親を許し、自分を許す」というプロセスを経る必要がある。

最大の敵は自分であり、その自分とどう戦い、どう救うか。そして、そうすることでどうやって周りと関係を結んでいくか。

 

「自分という敵」をどう倒すかが少女マンガにおけるドラマ性であり、その「敵」は「身近な人の死」その中でも「母親の死」を抱えることで、最大のものとなる。

 

……と身も蓋もないけれど、そう捉えると、「なぜ少女マンガは身近な人の死が大きく扱われるのか」という一つの答えにもなる。(勿論身近な人の死を乗り越えることは人類の普遍的なテーマであって、何も少女マンガに限らないのだけれど。)

 

 

「自殺する母親」という人物像と今日の女性の生き方

 

ちなみに私が知っている少女マンガの中で他にも母親が自殺してしまうのは、「砂時計」と「僕等がいた」である。(「砂時計」も過去で触れている)

 

chikichiki303.hatenablog.com

 

この三冊はどれも2000年以降に出版されたものだ。

最近「毒親」が結構話題になっている。子供に精神的な傷を負わせてしまう親のことだ。一方で、友達みたいな母娘も(自分を含め)周りには多い。この二つはともするとコインの裏表の関係で、良くも悪くも母親は「はむかい超えるべき対象」という役割は演じていない。

かつては権威として壁として立ちはだかり、そしてうっとうしく、さっさと離れたいけれどやっぱりおかんの手料理がイチバン、というかつての「母親像」はそこにはない。

 

それは母という役割だけに徹したくない女性が増えたからではないか。

そして「自分の弱さ故に自殺する母親」というのは最も母親らしくないといえばらしくない。それは自殺するのが悪い、ということではなくて、母親が自殺する、という重いエピソードが、私たち読者に、「母」ではなく一人の人間としての、どうしようもない「弱さ」に気付かせるからである。「毒親」もまた、「母」であることをやめ、例えば自分の女として果たせなかった人生や願望を娘に託す人間としての弱さ、とも言えるし、娘と仲がいい母というのも、「うっとうしいおかん」をやめていつまでもかわいい「女子」でいたい心理の裏返しかもしれない。

 

つまり「自殺する母親」という人物像は、「母だけ」でいたくない女性が増えた現在の日本だからこそ描かれうる像なのかもしれない…とここまで考察するのは単なるこじつけかもしれないが。そしてこんなこと書くと自分もいつか母になるのが怖くなってしまいそうだ。でも「母」でもなく「妻」でもない「一人の女性」として生きていくという価値観が広まった昨今において、自分も「母」という役割だけに徹することはもうできないししたくないだろうなと思う。そして自分が母親になりうる年齢に近づけば近づくほど、「強い母像」は社会がつくった幻想であり願望なんだなと思う。

 

…書き始めたら思っていたよりもはるかに長くなってしまった。

 

これを読んで「orange」を手に取ってもらえたら勿論嬉しいけれど、

「よっしゃいっちょマンガも考察してやるか~」と思ってもらえてマンガの考察記事が増えたらもっと嬉しい。

 

このマンガに関してだと、長野松本という地方都市を舞台にすること、とか、パラレルワールドに関する考察、とか読んでみたい。