思考の道場

答えのない、問いのまわりをぐるぐると。

海外に住んでいて一番恋しく想うもの。

日本の外に住んでいる方、一番恋しいものは、何ですか。

 

私は勿論、家族恋人友人という身近な人をはじめ、日本食や家の周りの風景や、よく行ってた本屋とか恋しいけれど、一番恋しいものはというと、思ってもいなかったものであった。

 

そう、言葉である。

 

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すぐ近くに日本人の友人がいないからか、ドイツで1~2か月たってからじわじわと恋しくなり始めた。ドイツ語が上手く使えないというストレスよりも、日本語がしゃべれないというストレスの方が大きいことに気付いたのだ。

 

勿論スカイプ越しにしゃべったりインターネットで記事を読むことはできる。だから全く日本語から断絶されているわけではない。

 

 でも、日本語を実際にしゃべりたくて、聞きたいのだ。画面越しじゃなくて、触れたいのだ。日本語に囲まれたいのだ。

無性に日本語に囲まれたくなってJRの構内放送のビデオを取って送ってもらったこともあった。普段どれだけ日本語に囲まれているか、離れてみないとありありと実感することはできないものだ。

 

日本語に囲まれていない分、自分の日本語に対する感度、みたいなのがあがっているのだろうか。普段読まない本を無性に読みたくなったり、言葉がうちに溜まっていくので無性に書きたくなったりする。

 

私は日本という国や先祖や、身に着けた振る舞いや身のしぐさ、その社会の価値観常識そういうものをはぎ取られても、またはこの先自分で捨てるとしても(両方ないことを祈るけれど)、最後まで残るのは、そして切り離せないのは、言葉だと思うようになった。

 

私にとって言葉は、単なるツールでもないし、言いたいことを言うだけのための外皮でもない。世界を認識し、自分の世界を支えているのが自分の持っている言葉である以上、自分という存在と切っても切り離せないものだと思っている。自分の使っている言葉や、言語自体が刻々と変わっていくなかで、私もまた、刻々と変わっていっているのであろう。言葉は美しくも醜くも、豊満にも痩せ細ることもできる。だからこそ、自分を成している言語が豊かな土壌をもち、そして自分もその豊かな土壌の担い手になれるよう、ひっそりと、でも丁寧に今日も言葉を紡いでいくのだ。