【旅行エッセイ】 旅行と余白と好奇心と
3週間の旅行も今日で終わり。
今回の旅行は、視野が広がったというよりは、
余白が広がった旅行でした。
余白が広がるって?
★★★
見知らぬ土地をいろいろまわると、当たり前だけど知らないことばかり。
私は事前にあんまり下調べしてから行かないので、当日その場の美術館や建築物を見に行って新たに知ることが多い。
だから、旅行すると
「知らないことリスト」がどんどん長くなる。
ハンガリーアートヌーヴォーとか(建築の屋根がモザイクタイルで心惹かれた)、ハプスブルク家の財政状況だとか(ウィーンのホーフブルク宮殿がそんなに豪華じゃなかった)、ドイツの第二次世界大戦後のアートとか(戦後はNY中心だったけどドイツはどうなんだろう)、水の精のモチーフ(ルサルカというオペラが人魚姫の話と似てた)とか。
いろんな?が次々浮かぶ。ああ知らないことだらけだな、という当たり前のことに気づく。
普段意識しない、地面の下や海の下にも、地上と同じくらい世界が広がってる、と気づくときとか。
そうすることで、頭の中に余白が生まれて、人は窮屈さから抜け出すことができる。
だから旅行(旅)は、人を自由にするんだろう。
私にとって旅行は、新しいことを知りにいくよりも「知らないことを知りにいく」、言わば「無知の知」である。
その余白は、好奇心と言い換えてもいいかもしれない。
好奇心が新たに芽生えることで余白が生まれるんですね。
好奇心は自分の知らない世界を、自分の中につくってくれる。
というか、するりとすべりこんでくる。
その瞬間、私たちはすごくわくわくします。
好奇心は空間的に表すと、自分の中の余白、空いたスペース、未知の領域だ。
その自分の中にある余白は、私は徐々に埋めていってもいいし、そのままにしておいてもいいんじゃないかと思っている。
一度ひっかかったものはどこかで残っていて、ある日そのままであれ別の形であれ、ひょっこり顔を出すので。
そうそう、関連して。以前、「旅は情報じゃなくて欲望を得に行く」というこちらの記事を読んで、深く納得しました。
ちなみにある意味この旅行で一番好奇心わいたんじゃないかと思うのは、こちら。
横断歩道はなかよくわたりませう。
信号機の歴史やデザインや文化も、調べたら奥深そうです。