【Webエッセイ】 あなたに笑いが訪れますように
日々の他愛無いはなしの中で、誰しも苦手なネタに遭遇することがあると思うのですが、私にとってその最たるものはお笑いとかバラエティです。
テレビがないということがまあ最たる外的要因ではあるのですが、かと言ってyoutubeとかでも見ることはありません。要は苦手なんですね。
なんでかっていうと、まあ笑えないからなんですが。面白がって笑うために見るのに、笑えないなんて辛いじゃないですか。
なんで自分は笑えないのか、なんで今この芸人が流行ってるのか考察したい気もしますが、あの笑え~笑え~というオーラに気圧されて、そして笑わなきゃ笑わなきゃと思ってしまって余計に笑えなくなるという悪循環に陥るので、私にとってはちょっとハードルが高いみたいです。
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笑うってすごく日常的なことなのに、自分がいつどういうときに笑ってるか、改めて考えることってないものですね。
いつ笑ってるんだろうと改めて考えてみたのですが、やっぱり身近な人との内輪ネタで一番笑っている気がします。特定の間柄、家族とかこの友人グループとか、恋人の間柄でしか通じない話。
他の人が聞いたら全く面白くないものの方が、余計におもしろく感じられる。
外国語を一番習得できたなあと思うときは、上手くプレゼンができたときでも、試験に合格したときでも、交渉が上手く行ったときでもなくて、「笑うべきタイミング」で笑えたときです。
だから講演とか授業中に話を聞くとき、あ、これから笑わせようとしているなという雰囲気に気が付いたら注意して耳を傾けます。まだかまだかと待ち構えて、笑うタイミングか来るのを待ちます。笑うタイミングがぴったりだったときは妙な達成感を得るものです・・・というのは少し大げさですが。
逆に周りの人はみんな笑っているのに、自分だけ笑えてないときってとっても居心地悪くなりません?
昔アメリカの地元の映画館で映画を見たのですが、人が負傷しているよういないわゆる私から見たらシリアスなシーンで笑いが起こって、なんでみんなここで笑ってるんだろうと不思議に思ったことがあります。
私がその映画をよく理解していなかったからかもしれないし、あまりに笑いのツボがかけ離れていたからかもしれません。
でも色々な意味でショックだったのか今でもよく覚えています。
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そういえば男女が仲良くなるポイントとして、笑いのツボが同じというのがありますね。
それだけ何に対して笑うのか、は人それぞれだということでしょう。
何を悲しいと思うのかにはそんなに人や文化によって違いはないような気がするのですが(失恋や失敗、裏切や暴力、病気や死別など)、何を面白いと思うか、何に対して笑うのかは、もっとバラエティに富んでる気がします。
外国の感動映画より、外国のバラエティの方が理解するのは難しそうだし、日本のアニメやドラマは国外に輸出されても、ドメスティックなバラエティ番組や落語が輸出されるのはハードルが高そうです。
それだけ前提とする文化や言葉の知識、コンテクストが必要とされるのが「笑い」であって、だからこそ前提とする知識が多く共有されている「内輪ネタ」は、その内部の人にはうけるのでしょう。
「悲しみ」よりも、ある意味では閉じたサークルを作りだしてしまうのが「笑い」なんですね。
自分たちには通じる、という仲間意識みたいなもの、「自分たち」と「それ以外」を分けるものとして「笑い」が働くからこそ、尚更「笑い」が共有されたときはおもしろくうれしく感じるものです。良くも悪くも。
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この間ドイツの本屋さんで「旧東時代のジョーク集」っていう本があったのでぱらぱらっとめくってみたのですが、さっぱりわかりませんでした。一つ一つの単語はわかっても、なぜこれがジョークなのかわからない。
壁崩壊前のドイツを知りたいなと思ってはいるのですが、「旧東ドイツの笑いの文化」を理解するのが一番難しいかもしれません・・・。
イギリスには住んだことないのですが、ブリティッシュジョークは真顔で発せられるそうで。みなさんイギリスに行ったときはご注意ください。