【旅行エッセイ】 ただ、そこに存在している。ブルガリアの教会
前回の旅行:
マケドニアからバスで国境を越え、ブルガリアの首都ソフィアへ。
ところでブルガリアって、知名度抜群だけど行った人が少ない国ランキングをつくったらきっと上位に食い込むと思う。
ブルガリアと言えばヨーグルト。ということでヨーグルトスープと、飲むヨーグルトに手を出しました。飲むヨーグルトはともかく、ヨーグルトスープはレストランの前菜メニューに載ってたので、きっとヨーグルトがベースのアレンジされたスープなんだわ、どんな味かしらとわくわくしてたんだけれど、出てきたのは飲むヨーグルトと全く同じで、それにスプーンがついてきただけでした。あれ、拍子抜け。
まあでもブルガリア=ヨーグルトというのはこちらの勝手な方程式でしかないみたいで、ブルガリアの国民としてはバラをおしているみたいです。確かにお土産屋さんには、バラの香水バラのハンドクリームバラのハンカチバラのはちみつ(!)と、バラずくし。ソフィアじゃないけれど、バラ祭りなるものも行われている模様。
まあでも、ソフィアの旅のハイライトはヨーグルトでもバラでもなくて、教会だったんですけれどね。
ブルガリアはブルガリア正教、ということで東方教会。(写真はロシア正教の教会ですが)
東方教会といえば、そう、イコン。教会のそばにあるイコン博物館にも行ってきたので、目にするのはしゃちほこばった、聖母マリアと子イエス。イコンイコンイコン。
イコンってすごくぎこちないんですね。平面的だし表情ないし、身体はぎこちなく固そうだし、みんな同じポーズだし。だから最初は見てるこっちもぎくしゃくするんですが、大量に見ているうちに見慣れてきたのか、気付いたらすーっとした静けさに包まれた。
そこには遠近法とか、ルーベンスの絵みたいな派手な動きは一切見られなくて、彼らはただ、そこに存在しています。なんだろう、イコンをたくさん見ていると、そういった画面の奥行やら動きやらが余計なものに感じられてくる。ただそこに描かれているからこそ、存在することの重み、みたいなものがひしひしと伝わってきました。
ブルガリアではないんですが、テッサロニキにはビザンチン文化博物館があって、そこではイコンだけじゃなくてモザイク画も見れます。
美術館の標識がさりげなくモザイク。こういう細部への遊び心でその美術館の印象が一気に跳ね上がります。
東方教会ってどうもぱっとしないなあなんて私は勝手に思ってたのですが、東欧に行ってイメージはがらっと変わりました。あと旅行で抱いた印象にすぎないと言えばすぎないのですが、結構地元の人が熱心にお祈りしているところが多かったです、東方教会。
祈りの仕方もカトリックプロテスタントと違うのか、十字架をきったあと、イコンに顔を近づけてキスするんですよね。初めて見たときはちょっとびっくりしましたが、世界にはいろんな祈りの仕方があるものです。物理的な距離が近いと、神様の存在を精神的にも身近に感じるような気がするからかな。
★★★
今回の旅行はギリシャ、マケドニア、ブルガリアとまわったのですが、私が暮らすドイツ圏とは勝手が違うので疲れる旅でした。空気は汚く、街はごちゃごちゃ、バスの椅子は固く、ブルガリアではなぜか改札のシステムが左右逆(左手で切符を入れて右手で改札のバーをおす)で入れないと言ったらおばちゃんにきれられ、とまあたいしたことないことの積み重ねで旅行的疲労はたまっていくものですが、終わってみるとそれが懐かしく思えるもの。
留学に来る前は「ヨーロッパ」とひとくくりにされていた白地図が、いろんなところに赴くことによって少しずつ色味を帯び、多彩なものになってくる。そしてそれは、ガイドブック的観光名所じゃなくて、上記に述べたような些細な具体的な疲労を帯びた事実によって色付いていく。
疲れるのにそれでもまた旅行に出たくなるのは、そんなざらついた手触りのある具体的事実の感触を掴みたい、それを通して自分が知らない世界を垣間見たい、からかもしれません。
あなたが旅に出たくなるのは、どんなときですか?