思考の道場

答えのない、問いのまわりをぐるぐると。

【Webエッセイ】ハグとか、キスとか、握手とか

世の中にはいろんな人がいる。なんて、そんな古くさい言い回し、使うつもりなんてないけれど。

でもやっぱり、そうとしか言えないときもある。

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ドイツに行っていたとき、私の周りにはスペインとかイタリアとか、いわゆるラテン系の人たちが多かった。

彼らは会うたびに熱烈な挨拶を私の前で繰り広げる。ぎゅっと両手で抱きしめてから、キスをちゅ、ちゅ、ちゅと右ほほ、左ほほ、また右ほほと三回ずつ。異性であっても律儀に行う。

私もたまにこの挨拶に巻き込まれる?ときがあって、同性だとまだいいんだけど、異性とこの挨拶を交わすのはさすがに近いなあと感じる。あごひげがじょりじょり私のほっぺたをかすめて、失礼ながら鳥肌がぞわぞわしてしまうのだ。

そこまで開放的じゃない人は、私に右手を差し出してくる。力強く私の目を見て、ぎゅっと一回右手に力を込める。私はその力に負けないように、ぎゅっと握り返す。キスの挨拶に比べれば全然抵抗ないはずなのに、 周りがキスやハグの挨拶をしていると、私には手で距離を置かれているようでちょっと寂しい。

一度、日本の挨拶事情について聞かれたことがあった。そう、私たちが空気を吸うように毎日やっている、あのお辞儀である。美しい文化だねと言う人もいれば、ハグもキスもしないのなんて寂しい人たちなんだと言う人もいた。そういえば彼らは、親子であれ兄弟であれ悲しいときも嬉しいときも、ぎゅっとお互いを抱きしめるのだ。子どもの頃ならいざ知らず、大きくなっちゃったらハグをする機会なんて、恋心を抱いた異性くらいしかない、私たちの文化では。

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そう思うと、パーソナルスペースに入れる人が多いっていうのはいいなあなんて思う。悲しいとき、文字どおり寄り添ってくれる人が、すこうし増えるんだもの。ザッハトルテにたおやかに寄りそう、こってりした生クリームのように。

でも小津安二郎の映画を見ていると、夫婦や親子の間に漂うあの絶妙な距離感も愛おしいなと思う。たぶん私たちは、二人の間に漂うあの距離を、抱きしめているんだろう。

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東京に戻ってきて、道端で大きな円をつくってみんながお辞儀しあっているのを見て、ああここは日本なんだなあと思う。私も空港に降り立った瞬間から、あの絶妙な角度のお辞儀を始めるんだから、そうだ挨拶は文化の権化なんだきっと。