思考の道場

答えのない、問いのまわりをぐるぐると。

【Webエッセイ】料理についての一考察

日々生きていくなかで最も必要なものって睡眠と食事だけれど、さて睡眠は睡魔が襲ってきたときに貪ればいいものの、食事はそうは行かない。買ってくるなり食べに行くなりつくるなり、睡眠に比べるとやや能動的に動く必要がある。

料理は人類が今日食べることに必死になるという生活から解放されて以来、生活と趣味、娯楽の間を行ったりきたりしている。30分でつくれるレシピ、1週間作り置きメニュー、冷凍保存できる料理などの時短料理から、地産地消の野菜でしかつくらないサラダ、8時間コトコト煮込むビーフシチュー、学校から帰ってきたら木のバスケットの中に置かれている手作りシナモンロールまで、化ける、化ける、料理は化ける。

私はグルメではないので、食にお金をかけるくらいだったら他に使いたいなと思っている。かといってマックやはなまるうどんばっかり食べててそれでいいかと言われれば、それは飽きるし健康に悪そうだし後ろめたい。というわけであまりこだわりのない自炊が、毎月の食事の大半を占める。

料理ってめんどうくさい。まずよっこらしょと立ち上がってキッチンに立つまでに時間がかかる。なんで座りながら料理できるキッチンってないんだろうと思う。危ないからかな。たまに座りながら野菜切ってる人がいるけれど、見てはいけないものを見てしまったような、でもどこか羨ましいようなという、カップルのキスシーンを目の前で見たようなどぎまぎした気分になる。

とキッチンに立つまでがめんどうくさいんだけれど、いざ立ち上がるとそのあとは結構気分が乗ってくる。料理は段取りが大事とよく言われるけれど、本当にその通りだ。玉ねぎを水に浸している間にジャガイモを切ってレンジで温めて、その間にお鍋に水入れて火にくべて、とかやっていると、頭も動かすし身体もリズミカル?に動かすからか、なんだかすっきりとした気分になっている。料理をつくったという達成感もあるし、家族の分もつくったら役にもたつし、何より目に見えて、自分が一から作り上げたものが現れるというのが嬉しい。

卵エッセイの中で松浦弥太郎さんが、落ち込んだときはふわふわの卵焼きをつくって食べて、自分もやればできるじゃないかという達成感を取り戻すって書いていた。そうだ、落ち込んだとき、散歩に行くのもひたすら泣くのもカラオケ行くのも寝るのもいいけれど、料理もいい。

料理していると味見したり匂いかいだりしているうちにお腹が膨れてくるから、実はダイエットにもいいんじゃないかと私はひそかに思っている。

いつか、文字通りほっぺたが落ちそうな牛歩ほほ肉の赤ワイン煮込みを一日かけてつくってみたい。昔、好きだった人が知人の家の調理棚を見て、こうやって調味料が揃って並べられているのいいよねと言った。何に使うのかさっぱりわからない調味料や香辛料を私は揃えることができないし、本屋さんに平積みされているような丁寧な料理には程遠いけれど、それでも料理は自分を目の前に引き戻してくれる。料理好きなんて絶対言えないけれど、自分のペースで試行錯誤するのは楽しい。

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後片付けは、やっぱり面倒くさいんだけどね。