思考の道場

答えのない、問いのまわりをぐるぐると。

簡単じゃないけれど、わかりやすい文章とは

 

多かれ少なかれ、書くのが好きな人はどのように文章を書くかというのに悩まれているに違いない。書くっていうのはそれほど、骨の折れることだ。私も仕事でも趣味でも本業でも何かしら書いているので、なんだかんだ「書く」ということについて考えている。

 

難しい内容を難しく書くのは簡単だ。卒論を書くときには難しいかんじのおかたい本を読みながら書くので、書いている内容もそれに合わせてかたくなる。先生はともかく、その専門じゃない友達に見せると「?」っていう顔をされることがある。

 

私はその度に、これじゃだめだなあと思う。論文はそれを専門とする人に読んでもらう傾向が強いけれど、私は専門へと進むわけじゃないのもあって、専門じゃない人にもわかるように書きたいと思っている。人文学を勉強していて、面白いけれどなんだか内向きというか、わかる人の中で閉じているかんじがしたからだ。

 

情報が簡単に手に入る世の中になった。でも、情報はそこにあっても、それを手に取る人がいるかどうかは、また別なのである。専門用語や難しい言葉を多用することで、それを解さない人を退けている情報はゴマンとある。

 

かといって、誰にでも伝わるように内容を薄くして簡単に書けばいいってものでもない。そこが文章の難しいところであり、同時に面白いところである。

 

専門用語は説明を付け加えること、他の言葉に置き換えること。専門の人には当たり前のことでも、論理の道筋を丁寧に描くこと。大事なことは繰り返し書くこと。具体例を挙げること。読んでくれる人を頭に思い浮かべること。

 

こうやって書くと、驚くほど当たり前で、フツーで、誰にでもできそうなのに、いざそれをしようとすると結構なエネルギーを使う。ついつい忘れてしまう。わかりやすい文章は、難しい文章よりもムズカシイのだ。

 

情理を尽くして、書く。文章は中身の入れ物でも、手段でもなく、伝えたいことそのものだから。