事実を客観視する
ドイツに来て早一か月。
新しい場所、新しい環境だから、もちろんしんどいこともある。
これからうつうつすることもあるかもしれない。
それでも来る前に思っていたよりも、すぐになれたし、
「こんなもんか」と思えることが多い。
何より、昔に戻った感じがする。
分からない言葉に囲まれて、「外国人」に囲まれて、日本語があると嬉しくて、日本を恋しく思って。
「育ち」はそんなに関係ないと思ってた。
他の人と変わらないやと思ってた。
他の人が疑問に思わないことを思うのも、理解されないと苦しく思うのも、
そのこと自体をネガティブに捉えていた。
何より窮屈だった。
でも育ってきた環境は事実としてあるんだし、一種の「運命性」みたいなものだと思うようになった。
それを「よかった」とか「悪かった」とか言っていても仕方がない。
育ってきた環境故の見方とか価値観とか、考え方とか、そういうのはどうしても生まれてくる。
それ自体が、その人の「個性」の一つなんだと、初めてしっくり思えた。
育ってきた環境故の、考え方がいいとか悪いとかはおいといて、それを一つの事実として客観視して、そこを足場にして、スタートすればいいんだなと思うようになった。
「運命性」みたいなものを受け入れるって、そういうことなのかな。
疑問に思うのも、深く考えてしまうのも、性格故の、育ち故の、一種の「個性」なんだな。
それを嘆いたり有難く思ったりするわけではなく、事実として淡々と受け入れて、それを「どう活かせるか」というように考えていくほうが、はるかに大事なんだ。
「当たり前」のことかもしれないけれど、この「当たり前」のことに気づけてよかったかもしれない。何より、気が楽になった。
このことに気付けただけでも、こっちに来てよかった。