「知りたい」から「表現したい」へ。
知りたい、から表現したい、と思うようになった。
知りたい、と思っていたころ。
私にはいつも知識が足りないと思っていた。
足しても足しても足りない知識を埋めようと、躍起になり、
本を読めば読むほど、私の知的好奇心はぐんぐん高まった。
知る、ということを、渇望していた。
砂がすぐ水を吸ってしまうように。
海水を飲んでもますますのどが渇くように。
いつも心は焦がれていた。
今は、表現したいと思っている。
完璧に知識を入れた状態はない。
完成された、間違いのない考えもない。
これ以上洗練しようのない、言葉遣いもない。
表現することは、いつも未完成だ。
私は未完成のものを出すことを、いつもためらう。
怖くて恥ずかしくて、いつもそうと気づかれないように、知らず知らず気取ってしまう。
でも、そうしたら一生表現できないということに気付いた。
未完全だから、表現するのだ。
表現したい、と思ったときに、表現するしか、ないのだ。
死ぬ前に、一つでも自分の爪痕を残したいと、思う。
だったら、知を内にため込むだけじゃなくて、
最終的には、外に向かって、生きている今。
表現していくしか、ないのだ。