思考の道場

答えのない、問いのまわりをぐるぐると。

【Webエッセイ】 頭半分、本にとられ

普段カタイものを書いていると、ふとやわらかいものについて書きたくなりません?

 

私のブログはそれなりに毎回テーマを決めて書いてるので、たまに中身のないものについて書きたくなります…というわけでこの記事はエッセイ的ななにかと名付けてみました。

 

でもエッセイって一番書くのが難しいと思うんですよね。

 

私があーエッセイ読みたいなあと思うのは、難しい本とかに飽きたりそもそもそんなもの読む体力ないとき。

こってりオーストラリア牛ステーキとか玄米と有機野菜のサラダセットとかに飽きて、ちょっとだけ上にクリームが巻いてあるカップケーキとかつまみたくなるように、エッセイが読みたくなる。

 

ちなみに疲れているなら本じゃなくて絵とか映画とかテレビとか動画とか料理とかごはん食べればいいじゃんって自分でも思うんだけれど、活字疲れは活字で癒すというか、どうもあんまり趣味が多くないのか、なんもしたくないときは下手したら起きてる時間ずうっと活字見てます、勿論ネット含めだけど。

 

ロランバルトのテクストの快楽じゃないけれど(読んでないのに引っ張ってきてごめんなさい)、エッセイは純粋なる愉悦のために読んでる、少なくとも私は。

 

あー甘いもの食べたいな、という感覚であーエッセイ読みたいな、となるので、すらすら読めるのが大前提。でもって内容うんぬんより、この文章好きだな言葉選びがリズムが心地いい、って思う。美味しい文章。でもこれって内容で勝負できない分、センスが問われるんですよね。だからエッセイがうまいひとって尊敬します。作家でもウェブ上のひとでも。

 

なんだか話がエッセイの方向にいってしまった。

 

さて、最近なぜだか子どもの頃に読んだ本を再び読んでます。若草物語とかマリア様がみてるとか(全然ジャンルちがう・・って思ったけれどどちらもおんなのこたちのお話だ)。

続けて読んでるからか、没頭してると読み終わっても頭があちら側の世界に行ったまま。ぼうーっとします。ふわふわと、今いる場所の現実感がない。でもって、頭の中の自分との会話も、その文章の地の文章っぽくなってる。

頭半分本に持ってかれちゃってます。

 

これは本に没頭したことあるひとなら、誰でもなったことあるんじゃないでしょうか。このぼおーっとして、周りの現実が現実じゃなくなるとき、一番読書が楽しいときです。

文学、というか物語って、いろいろ手垢とかほこりとか取り除いてくと最後に残るのは結局そこなんじゃないかと。どれだけ頭をあっちの世界に持ってかれたか、どれだけ身体がいまここを離れて浮遊したか。

 

ところでみなさんは最近あちら側に行きましたか?

 

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