難しい顔をするんじゃなくて、
まだまだ気温が一けた代の日々が続きますが、少しずつドイツにも春の気配が。
ながーい冬を振り返って思うのは、あんまり難しい顔するもんじゃないなあと言うこと。
私は根がマジメなところがあるのか、すいーっと済ませればいいところを、いやいやほんとにそれでいいのか?と考えてしまうクセがある。
勉強してても、人文学の意義とは、とか文学部の必要性とは、とか妙に力んでるときがあって、きっとそういうときの私はムズカシイ顔をしているのだと思う。
でも気難しそうな顔をした人にあまりお近づきになりたくないように、難しい顔してやっていることって、それを好きな人同士だといいかもしれないけれど、そうじゃない人にはあんまり魅力的に伝わらないんじゃないか。
だから私は人文学をやってる端くれとして、巷の「人文学の危機」みたいなものを考えてはいるけれど、どうにもこうにもカタイ話が多いので(私自身はそういう話好きだけど)、「いやいや人文学おもしろいよ~」という話を少しずつできればなあと思うようになった。
まあそれの実験の場として、このブログを書いているところもあります。
そうそう、ブログもぽつぽつ更新しようと思うと、あんまり難しい顔してできないですね。力むと肩凝るし…。
ちなみに難しい顔するんじゃなくて…と思ったのは、自分にとっての大切な人を大切にするためでもあります。難しい顔してくらーくなって嘆いているよりは、面白そうな顔しててできることやっている方が、周りの人も笑顔でいてくれる。
怒りや嘆きと言った感情は、周りや社会を動かしていく大きな素となり得るけれど、それが自分に跳ね返ってくる危険を伴うということ。
反面おもしろそうな顔してやっていることは、一見インパクトも小さくて「軽そう」に見えるかもしれないけれど、淡々と続けていきやすいということ。
上手くまとまってませんが、やりたいことをやろうとするとき、伝えたいことを伝えるとき、自分がどっちのやり方に合っているか、考えるのにいいかもしれません。