【Webエッセイ】 身の回りのものを、柔らかな視線で包んでみたい。
永遠に続くかと思われた冬(誇張表現ではない)がやっとその終わりを見せてきた、ドイツ。
留学生活も残り三か月を切って、そろそろカウントダウンが始まったかな、という頃。
やっとやっと、身の回りが春めいてきました。
新緑が目に柔らかな視線を注ぐ中、太陽の光だけは真夏並み、いや真夏越え。
気温は10度超えてないのにね。不思議な組み合わせです。
桜も咲いていました。春が来ることが泣くほどうれしいなんて、初めての経験です。
肌に触れる空気があたたかくて、気が遠くなる高い空を見上げてるだけでなんとかなるかなと思えるんだから、本当に人は気候に左右されるもんです。
こっちに来てからのある意味一番大きな気づきだったかもしれません。
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ところでみなさん、小学校あるいは中学校のときの理科の授業、覚えていますか?
私はこれと言って理科が好きではなかったので、特筆するような思い出も特にないんですが、顕微鏡覗いたり、葉っぱの絵描いたり、グループで電気回路つくったり、なんていう記憶がぼんやり残っています。
科学信仰とも言えるくらい現代では科学があらゆる分野に浸透しているので、その中で生きる我々には科学的思考が求められるのですが、その科学的思考の最初の第一歩は「現象の観察」だそうです。
確かに、ニュートンも木からりんごが落ちたのを見て万有引力を思いついたわけですもんね。
観察があって初めて仮設→仮設の検証と進むわけです。
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ところで私はそんな科学的思考の第一歩である観察が、つくづく苦手です。ふと気づくと、頭の中で別のことを考えたり、過去や未来に思いをはせたり、物語を展開させたりと、意識が常に「ここじゃないどこか」に行っていて、周りを見ていないんですよね。
この間ぼーっとしていてスマホ盗まれたからか、自分がつくづく周囲を観察していないなあと痛感してしまいました。
なのでかどうかはわかりませんが、ふと思い立ってスケッチを初めてみました。
そう、かつての理科のじかんに花や葉っぱを描いたように。
無性にスケッチがしたくなったのです。アイフォンを失くして写真が撮れないからかもしれないし、新海誠監督の映画を見たからかもしれません。
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さて、いざやってみるとスケッチ、全然上手くいきません。椅子すら上手く描けない。毎日尻に敷いてるのに。
どんな形をしているか、意識しないと中々思い出せない。そんなものが身の回りに溢れている。毎日見ているから、知ったつもりになっている。
ドイツに住んで半年以上経つからこそ、今スケッチすることで、もう一度周りのものや景色をよく見たいなあと思うようになりました。
描くと手元に残るし、記憶にも残りやすいです。
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絵を描くのってやってないと難しく感じますが、その分描けたとき、その絵に対しても、対象とした景色やものに対しても愛着がわきます。
写真がいつでもどこでも撮れるようになった今だからこそ、敢えて手で描いてみる。
今日買ったスケッチワークブックの本には、スケッチでは目の前に見えるものの80%は描かなくていい、と書いてありました。全部描こう、詳細に描こうとするから難しいのであって、ラフに描きとめて置く分には、残り20%に集中すればいいのだそう。
これだとなんだかできそうな気がしません?
周りの環境に慣れたり飽きたりうんざりしてきたときこそ、スケッチ片手に出かけると、いろいろなものが新鮮に見えてきていいかもしれません。
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どっかに旅行に行ったときだけじゃなくて、写真撮るだけじゃなくて、スケッチいいよーと言いたかったと思うのですが、読み返してみると「スマホ失くした人への慰めの言葉」みたいになってますね。
まあスマホを失って、得られる新しい時間と視点と楽しみはあるってことなので、海外でスマホを失くしたときにでも、思い出してみてください。
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そんな私はカタチから入って気分を上げたい派。