センス・センス・センス/ センスとは身に着けるもの。
こうやってみっつ並べると、春樹氏の「ダンス・ダンス・ダンス」みたくなりますね。
日本に全部村上春樹の小説を置いてきてしまったので、読みたくて読みたくて仕方ありません。たとえどんなに元気でも、ドイツ語の本読むから手元になくて大丈夫、と希望的観測を抱いていても、好きな小説はやっぱり手元に置いておくもんだな、と激しく後悔中。いつ調子が悪くなるかわからないし。電子書籍じゃなくて紙で読みたいですし、好きな小説はやっぱり。
さて、タイトルにあるように、最近センスって何なんだろうとぼんやりと考えています。(いつもぼんやりとなのは、何かしながらじゃないと考えられないからです。貧乏性)。
というのは、これを読んだから。
記事の内容はタイトル通りで、センスは生まれもったものじゃなくて、知識を獲得することによって得られるもの、ということ。
私はこの考え方に賛成です。センスは生まれもったものって思っちゃうと、磨こうとか思いませんからね。
そして知識でセンスが得られるとすれば、全てのものに対してセンスがいい必要なんてなくって、服がださくても音楽のセンスがあればいいし、味おんちであっても写真のセンスがあればいいし、などなど人によってくる。要はポイントを絞ってセンスを育てていける。
私は生まれてこのかた、自分でセンスいいなあって思ったことも、人にセンスいいねって褒められたことに対する格別の記憶もないのですが、最近センスいい人でありたいと思うようになりました。
で、ここからなんですけれど、センスがいいってそもそもどういうことなんでしょう。
かっこいい、スマート、しゃれてる、ださくない、って形容詞を並べることはできますが、いざ考えるとぱっと思いつきませんね、センスがいいっていうのがどういう状態なのか。
それは、「この人がおすすめしてるから、私も○○したい」って他の人に思ってもらえることなんじゃないでしょうか。
例えばレストラン選びに定評がある友人がいて、メキシコ料理のレストランをすすめてきたら、別にメキシコ料理に興味なくても、行ってみようかなってなる。(私は好きです、メキシコ料理。タコスとかタコスとかタコスとか。食べたくなってきた。)
それは服のブランドでも雑誌でもインテリアでも、同じこと。
まあ特定のジャンルだけじゃなくてもっと広がって、その人の判断軸そのものが好きで、ジャンルを越境して影響を与えていけたらベストなんですけどね。
で私はやっぱりアート、小説とか絵とか最近だとアニメとか、そういう作品に対するセンスが欲しいなって思っています。
勿論自分が好きな分野でセンスいいって言われたらそれは大変喜ばしいんだけれど、それだけじゃなくて、「いい」受け手でいたいから。
以前書いたのですが、自分が好きな分野が活性化するためには、ただあれがだめこれがだめというよりも、ただ作品を享受するだけでもなくて、いいと思ったものはきちんと評価して、広めていく必要がある。そして広めていくためには、センスがいいと自分自身が評価されていると、強味になるんです。
知識を取り入れることでセンスを磨き、センスを磨くことで自身の判断軸を評価してもらい、いいと思ったものを広めていく。
口にすると簡単で、実際にするのは難しい。でも人文学が不要と言われ、作品が市場で消費されていく中、私ができることの一つは、そういうことなのかな、と。
そういえば私の大学時代の目標は感性を磨くことで、そのためにはまず良いのも悪いのも引っくるめてとにかく量をー本でも絵でも映画でもーまずこなす、と言われたのが心に残っている。この記事を読んでそのことを思い出した。 https://t.co/IYYAjkMXZ4
— 沙妃 (chikichiki303) (@sophieagermany) May 22, 2016
上記の分野における知識の筆頭はやっぱりまず自分が、たくさんの作品を浴びることなんだと思います。
知識を入れることもセンスを磨くことも一朝一夕にしてできることではないので、やっぱり淡々とやっていくしかない。
ちなみに上記の話は、その分野全体を盛り上げる、という話に繋がりそうです。
以上、最近旅行記が続いているのと、もう少し旅行の話を書きそうなので、ここらで閑話休題でした。